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ヘロド系

■ 特徴


■ 解説

 今日の主流父系の基礎を築いたエクリプスが生まれたのは1764年だが、ヘロドはそれより少し早い1758年に生まれた。
 生産したのはエクリプスと同じカンバーランド公だった。
 前肢が弱く、他にも故障があって満足な競走成績を残せなかったヘロドだったが、種牡馬としてはエクリプスに負けない優秀な成績を残した。
 3大父祖のうちバイアリータークは、他のダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアンに比べて初期は発展性に乏しく、細々と父系をつなぐのみだった。
 だが、このヘロドが誕生したおかげで消滅を免れ、3大父祖として歴史に名を残すこととなった。
 ヘロドの血はハイフライヤー(1785〜96年まで12年連続で英リーディングサイヤー)、
 ウッドペッカーが引き継ぎ、この2系統の子孫が栄えて一時期はエクリプス系と互角に張り合った。
 1780年、イギリスではじまった第1回ダービーの優勝馬も、ヘロドから数えて3代目のダイオメドである。
 さらに1850年、このダイオメドから数えて5代目に誕生したのが、アメリカで16回もリーディングサイヤーに輝いたレキシントンだった。
 しかし以後のヘロド系は、その繁栄がまるで幻であったかのように衰退していく。
 レキシントンからは後継種牡馬が育たず、ハイフライヤー系もしぼんでいくばかりで、ウッドペッカー系が最後の砦となってかろうじて子孫を残すのみだった。
 だが、20世紀に入り、そこに突如として救世主が誕生する。
 それがウッドペッカーから数えること11代目のザテトラークと、14代目のトウルビヨンだった。この2頭の誕生でヘロド系は息を吹き返すこととなった。

 ヘロド系は昭和40年代から50年代にパーソロンが日本のクラッシックを席巻した。
 シンボリルドルフからトウカイテイオー、あるいはメジロマックイーンのラインが主流になっている。
 テイオー産駒はスピードに欠けるかわりに、切れが持続する傾向があり、札幌や阪神の洋芝を得意とする。
 マックイーン産駒はダートが活躍の場になった。
 ダートの短距離、特に道悪などでハイペースになったとき、ステイヤー特有の心配機能の高さで粘りこむことが多いが、芝では逆にスピードに対応できないことが多い。


■ 小系統