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アンバーシャダイ

■ 特徴


■ 解説

 アンバーシャダイは、競走馬で、1977年3月20日に、北海道の早来ファームで、父ノーザンテースト、母クリアアンバー(母父Ambiopoise)の間に生まれた鹿毛の牡馬である。

 3歳時に日本ダービーに出走しているが、芽が出たのは4歳秋になってから。
 当時、豪華メンバーといわれた毎日王冠で2着に入ると、天皇賞(秋)4着後の目黒記念(秋)で初重賞制覇を飾る。
 そして迎えた有馬記念で3番人気であったアンバーシャダイは人気のホウヨウボーイ、モンテプリンスを2馬身半差で下し競走馬の頂点に立った。
 (このとき、加藤和宏は同じ厩舎のホウヨウボーイに騎乗していたため、代わりに東信二が騎乗している)
 5歳時は緒戦のAJCCこそ勝利したものの、天皇賞(春)ではモンテプリンスに、連覇を狙った有馬記念ではヒカリデユールに敗れて2着に終わった。
 明けて6歳、再びAJCCに出走し連覇を果たす。
 続くアルゼンチン共和国杯でも前年同様にミナガワマンナの2着に敗れたあと迎えた天皇賞(春)、
 1番人気に支持されたアンバーシャダイはホリスキーとの死闘を制し、遂に天皇賞を勝利した。

 その年の有馬記念3着を最後に種牡馬入り。獲得賞金4億6205万4400円は当時の歴代1位。
 ただし、一度も年度代表馬には選出されなかった。内国産種牡馬の星としてメジロライアンなどのステークスウイナーを輩出し、その後2002年に種牡馬を引退した。


 ノーザンテーストの代表産駒。旧齢5歳時一気に才能を開花させ有馬記念優勝、以降古馬戦線の主役として君臨。
 1983年春の天皇賞も制し同年暮れの有馬記念3着を最後に現役引退。種牡馬としてもメジロライアンなどを輩出し父内国産馬として確固たる地位を築いた。2002年種牡馬も引退。

■ ノーザンテースト最良の後継者

 社台ファームの吉田善哉オーナーがサラトガの2歳セールで購入したノーザンダンサーの子供は、フランスで走らされた後に日本に種牡馬として輸入された。
 ノーザンテーストと名付けられたその馬はまさに日本の競馬を大きく変えるほどの成績を上げ、11年連続リーディングサイヤーになるなど不滅の大記録をうち立てた。
 そしてダイナガリバー・ギャロップダイナなど多くの優秀な後継種牡馬を送り出したが、その中でもノーザンテーストの直系を発展させる大きな役割を果たしたのがアンバーシャダイである。
 アンバーシャダイは有馬記念・天皇賞の古馬2大タイトルと当時最高の4億6200万円もの収得賞金を看板に種牡馬入りすると、3年目の産駒から大物メジロライアンを送り出した。
 メジロライアンは結局ビッグレースとしては宝塚記念しか勝てなかったものの、その産駒にメジロドーベル・メジロブライトらを送り出し、名種牡馬としての地位を早くも確立した。
 日本の内国産馬は2代目になるといつの間にか遺伝力が弱くなり、次第に消えていくのが常だったが、
 アンバーシャダイーメジロライアンーメジロブライトのラインはその定説を覆す活躍を見せている。
 なかなか内国産の種牡馬が正当な評価を受けてこなかった日本の生産界に、アンバーシャダイ一族が与えた影響は大きい。

■ 典型的な晩成型

 アンバーシャダイは北海道早来の社台ファームで生まれた。
 父ノーザンテースト、母クリアアンバーの間に生まれた仔馬は順調ならばそれなりに期待される馬になるはずだったが、
 まだ離乳前の当歳時に牧柵に衝突して大きな怪我をしてしまい、3ヶ月の間厩舎に隔離された。
 結局この怪我の影響が尾を引いて買い手がつかず、吉田善哉オーナーの服色で走ることになってしまった。
 4歳でデビューしたアンバーシャダイははっきり言ってただの馬であった。条件レースで勝ったり負けたり。
 多少華やかな舞台に登場したのは日本ダービーに19番人気で出走してオペックホースの9着となったことや、5歳春にダイヤモンドSでピュアーシンボリの3着になったことくらいであった。
 しかし5歳の9月、18戦目で初秋特別を勝ち、ようやくオープン入りを果たすとその勢いに乗って毎日王冠・天皇賞と挑戦、強豪相手に2着、4着と善戦すると、
 続く目黒記念で待望の重賞制覇を果たした。晩成の血が開花してきたアンバーシャダイはその勢いで暮れの有馬記念に出走した。
 このレースではおなじ二本柳厩舎の先輩格・ホウヨウボーイが引退の花道に有馬記念連覇をと出走し断然の大本命になっていたので、
 アンバーシャダイの主戦加藤和宏騎手はホウヨウボーイに騎乗、アンバーシャダイにはのちに代打男を呼ばれる東信二が騎乗した。
 アンバーシャダイはその勢いを買われ、ホウヨウボーイ・モンテプリンスに続く3番人気に支持されていた。
 このレースでアンバーシャダイは先輩ホウヨウボーイを2馬身半突き放す圧勝を飾り、ホウヨウボーイ連覇の夢をうち砕いた。
 結局として2頭を管理する二本柳調教師にとっては史上初の有馬記念同一厩舎1・2着独占となったのだが、
 ホウヨウボーイに引退の花道を飾らせてやりたかった二本柳師にとってはさぞかし複雑な思いだったろう。
 ともあれアンバーシャダイは引退するホウヨウボーイの跡を継ぐ一流馬として末永く活躍していくことになる。

■ 血の宿命

 有馬記念を獲得したアンバーシャダイは古馬最高の栄誉・天皇賞獲得を目標に走り続ける。
 初戦のAJCCを勝ち、天皇賞に向かって幸先良しとなったのだが、続くアルゼンチン共和国杯ではシンザンの仔ミナガワマンナの2着に破れ、
 天皇賞も無冠のプリンス・モンテプリンスの2着に惜敗した。

 そして秋になっても毎日王冠・天皇賞と惜敗し、連覇を賭けた有馬記念では勝ったと思ったところをヒカリデュールのまさかの豪脚に差しきられて2着。
 結局6歳時は1勝を上げただけに留まった。

 7歳になって前年と全く同じステップで4度目の天皇賞に挑戦したアンバーシャダイは、直線猛烈に追い込んでくるホリスキーを持ち前の勝負根性で何とか抑え、
 4度目にしてようやく天皇賞のタイトルを手に入れた。
 目標を達成したアンバーシャダイはこの後も故障なく走り続け、秋も天皇賞・ジャパンカップ・有馬記念と善戦し、
 総収得賞金4億6205万4400円という新記録をうち立てた。
 この記録はシンボリルドルフ登場まで破られることはなかった。この後の種牡馬入りしてからの活躍は前述の通りである。

 メジロライアン・そしてその仔メジロブライトと、クラシックレースで親子そっくりな惜敗を続けたことはよく知られている。
 しかし大レースで惜敗を続けるというのは何もこの2頭だけのことではなく、アンバーシャダイも結構なジリ脚の持ち主であった。
 事実天皇賞は5度走って1着〜5着を1度づつ、勝つまで4度も挑戦と結構苦労している。
 ただし惨敗はせず常にその力を発揮して善戦し、また故障せず何度も挑戦してついに大きなタイトルを獲得するのもこの血統の特徴である。
 アンバーシャダイも末永く活躍して実に多くの賞金を稼ぎ出した。
 ステイヤー的なところは父・メジロライアンよりむしろ祖父のアンバーシャダイに似ているメジロブライト。
 苦労の末ようやく天皇賞のタイトルを手に入れたが、この後も末永い活躍を期待したいところである。


■ 代表産駒