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ダーレーアラビアン

■ 特徴


■ 解説

 現在のサラブレッドの多くがこの父系に属し、全体の90%のシェアを占めるまでになっている。

 父祖となったダーレーアラビアンは、推定1700年の生まれで、オスマン=トルコのアレッポ(現在のシリア北西部の都市)に駐在していたイギリス領事のトーマス・ダーレーが、
 アラブの族長から買い取って本国の送った馬だと言われる。
 しかし当のトルコ側では、「買ったなんてとんでもない。略奪だ!」と主張しているようで、どちらが事実なのか判断に迷ってしまう所だが、
 この時代のイギリスが武力をバックに植民地政策を推し進めていたことを考えると、トルコ側の主張がおそらくは正しいだろう。
 かりにダーレーアラビアンが正規に買われたものだったとしても、当時、中東からイギリスに運ばれたアラブ馬やトルコ馬には、略奪まがいのモノが多かったと思われる。

 ダーレーアラビアンから数えて5代目、1764年に生まれたエクリプスによってこの父系は活気づいた。そのためか「エクリプス系」とも呼ばれる。
 1764年4月、皆既日食(エクリプス)があった日に生まれ、この名が付けられたと言われてきたが、どうも作り話らしいということになっている。
 このエクリプスの血は「ポトエイトーズ」「キングファーガス」という2頭の後継種牡馬から発展していった。
 とはいえ、この時代はまだ現在ほどの勢力になく、むしろ19世紀のはじめごろまでは、バイアリーターク系(ヘロド系)とほぼ互角の争いだった。

 だが、1881年に誕生したセントサイモンが、かつてない規模の血統革命を巻き起こすと、両者の勢力図は激変していく。
 これを境にダーレーアラビアン系の支流血脈は拡大していくばかりとなった。
 以後、ベンドア系、ブランドフォード系、ゲインズボロー系、ハイペリオン系、プリンスローズ系、ネアルコ系、ナスルーラ系、ノーザンダンサー系、
 ネイティヴダンサー系、ミスタープロスペクター系といった支流血脈が入り替わり立ち替わり台頭し、今日の圧倒的な優勢を誇っている。
 とくに20世紀のなかばに登場したネアルコは、ナスルーラやノーザンダンサーを通して史上最大規模で血統革命を巻き起こし、
 今日のダーレーアラビアン系の圧倒的優位を不動のものとした。
 近年、日本の競馬史上に偉大な足跡を残したサンデーサイレンス、これと覇を競い合ったブライアンズタイム、トニービンもみな同じネアルコ系の流れをくんでいる。

 世界の3代主流血脈ともいうべき「ノーザンダンサー系」「ナスルーラ系」「ネイティヴダンサー系」はもちろんのこと、
 日本の2代種牡馬である、サンデーサイレンス、ブライアンズタイムの「ターントゥ系(ヘイロー系)」、
 内国産種牡馬として健闘しているバンブーアトラスの「リボー系」もこの父系である。

 それ以前の時代に隆盛を極めた「セントサイモン系」「プリンスリーギフト系」「ハイペリオン系」などもこの父系に属し、
 19世紀に入って以降、エクリプス系はいつの時代にも主流であり続けてきた。


■ 小系統