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ネアルコ系

■ 特徴


■ 解説

 イタリア陸軍の騎兵士官だったフェデリコ・テシオが、サラブレッド生産を思い立ち、北イタリアのマジョーレ湖畔に牧場を開いたのは1898年、29歳のときであった。
 この時代、イギリスではセントサイモンが血統革命の嵐を巻き起こしていたが、それから40年後、
 テシオはこのセントサイモンの凝縮配合でネアルコを世に送り出し、世界にその名を知らしめることとなる。
 1935年に生まれたネアルコは2歳時7戦全勝。3歳時もイタリアの大レースを勝ちまくり、さらにフランスのパリ大賞に遠征して英仏のダービー馬をひとまとめに負かした。
 次元の違う強さにネアルコは「セントサイモンの再来」と騒がれ、獲得合戦の末にイギリス人の手に渡った。

 しかし、その直後に第2次世界大戦が勃発。
 ドイツ軍の空襲で避難したり、郊外に疎開したりで満足な種付けができなかったが、それでも戦争終結直後の1947〜49年に3年連続して英リーディングサイヤーに輝いた。
 当時のイタリアは競馬も生産も二流国だった。
 だが、この異端の地で生まれたネアルコの影響力はすさまじく、その後のサラブレッドの質や血統的な価値観までも大きく変えていくこととなった。

 代表産駒にはダンテ(英ダービー)、ニンバス(英ダービー、輸入種牡馬)、サヤジラオ(英セントレジャー)などステイヤーが多かったが、
 今日に至るまで強い影響力を及ぼしたのは、むしろスタミナではなくスピードに優れた馬たちだった。
 時あたかもアメリカを中心に、長距離重視の競馬から、短中距離と2歳戦重視の競馬へと移行しようとしていた。
 ネアルコが伝えた抜群の仕上がりの良さ、ダッシュ力、類まれなるスピードと闘争心が、この新たなニーズにみごとにマッチしたのである。
 なかでもナスルーラ系、ノーザンダンサー系、ロイヤルチャージャー系は子孫の発展が素晴らしく、
 これら3系統が革命の推進役となって、サラブレッドの血統を猛スピードで塗り替えていった。

 今日ではサラブレッドのほとんどにこのネアルコの血が流れているが、父系の拡大発展も半端ではなく、同じネアルコ系の支流同士が覇権争いを繰り広げているのが現状だ。
 近年、日本に未曾有の血統革命をもたらしたサンデーサイレンスも、ネアルコ〜ロイヤルチャージャーの支流から誕生している。


■ 小系統